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アンフェアーな戦い_0810

実は今までブログに書いていない昔話があります。

一生書かないでおこうと思っていましたが、

今の中学3年生に何か伝わればと思いまして取り上げます。


書かなかった理由の一つは

誰も望んでいないからです。


我々は敗者となり、それを受けて入れていますので、

今更むし返す気もありません。


また正式記録では相手の勝利ですので

それに対してケチをつける気もありません。


敗れた我々が甘かったと。


もちろん相手のチーム名は出しませんし

わからないようにある程度は省略します。

詮索は行わないようにお願い致します。



『 アンフェアーな戦い 』


その試合、我々は2点差で敗れました。

今まで本当に苦しい練習を乗り越えて

最後にたどり着いた舞台で敗れました。


涙が枯れるくらいみんなで号泣しました。


試合後、京都の先生たちが大会本部へ掛け合ってくださったらしいですが、

ゲーム終了の宣言がされた以上、覆らないということでした。


もちろん、試合中も必死で訴えかけましたが、

認められませんでした。


夢の舞台がかかった大一番、

オフィシャルのスコアミスが起こりました。


我々の得点がカウントされていませんでした。


それに気づいたマネージャーが先生に伝え、

レフリータイムとなりました。


本来なら、( 両チームのスコア ) 2 : 1 ( オフィシャル )で

得点が修正されるところですが、

なんと相手のスコアも我々の得点が少なかったのです。


( 我々 ) 1:2 ( オフィシャル+相手 ) で認められませんでした。



実は、

いち早くオフィシャルのスコアミスに気づいた相手の監督が

自チームのマネージャーに

スコアブックの記録を消すように指示したのです。


テーブルオフィシャルがミスしたスコアに

相手が合わせたのです。


これは揉めに揉めました。


しかし、残念ながら、我々の訴えは認められませんでした。


認められなかったことを

なぜ、はっきり言い切れるかというと

相手チームの選手が高校に入ってから教えてくれたからです。


「 あれ、監督が指示したんや。 」


それを語る視線はどこか虚で、遠くを見ていました。


それを聞いた私は怒りの感情が込み上げることもなく、

「あ…やっぱりか。」くらいの反応だったと思います。


なぜなら、その試合の勝利よりも

大切なものを私は手に入れていたからです。




スコアミスがあった試合の夜、

宿舎での最後のミーティング。


先生は開口一番、

自分のミスで敗れたことを謝罪しました。


もちろん選手は誰一人と先生のせいだとは思っていません


先生は今日まで苦しい練習に耐え抜いてきた我々を褒め称えました。

個性豊かなメンバーと一緒にバスケットが出来たことが幸せだったと伝えました。


そして、そんな我々を勝たすことができなかった自分を責めました。


アンフェアーな行動( ここに書かない他の事もされています )を

とった相手の監督に対する批判ではなく、

勝負の世界の中で、自分に甘さがあった

チームを預かる立場の人間として失格だったと伝えました。



私は試合に負けた悔しさよりも

この先生と出会えたこと、

先生の元でバスケットが出来たことこそが、

バスケットボールというスポーツを選んだ自分にとっての

最高の宝物だと思いました。



試合後、涙が枯れるくらい泣き、

もう当分流すことはないと思っていましたが、

その日の夜に、メンバー全員がまた号泣していました。



あの試合、もしも我々が勝利していたならどうだったのでしょうか。


それまでも先生のことを尊敬はしていました。

自分たちのことを一番に考えてくださる素晴らしい指導者でした。


しかし、あのミーティングほどの感動は経験した事がありませんでした。


今までの〝 大好きなバスケットで勝ちたい 〟が

〝  この先生と一緒に勝ちたい  〟に変わりました。


1学年下の後輩たちからは私のバスケットにかける姿勢や決意に対して

当時は理解できなかったと言われます。


また、試合に出られない同級生との温度差もかなりありました。


当時は意識の差について

一年生だからとか、控え選手だから仕方ないとか思っていましたが、

もしかするとこのミーティングを経験したか否かだったのかもしれません。



宿泊組である先輩15人と私を入れた16人だけしか

先生の言葉を聞く事ができませんでした。



試合に敗れた夜に、

〝 バスケットボールが自分の人生の中心 〟

にきたのです。


そこから引退までの1年間は中学生離れしたメンタルで

バスケットに挑みました。




中学3年生の皆さんにとってはどんな夏だったでしょうか。


3月で卒団を迎えるミニバスとは異なり、

試合に敗れて引退するのが中学バスケです。


涙で終わったでしょうか、

目標を達成できたでしょうか。


私にとっての中学バスケは

涙、涙で終わっておりますが

最高のバスケット人生だったと胸を張って言えます。


これは当時は感じていませんが、

結果よりも大切なものを我々は手にしていました。














( 写真は2019年に開催した 藤森OB  対 西賀茂OB の試合より )


普通はライバル校とはあまり練習試合をしません。

手の内をさらけ出すからです。


先輩の世代は藤森と毎回決勝で対戦しましたが、

一番練習試合をしたのが藤森でした。


そこには自チームだけの勝利ではなく

京都のバスケ界の発展に対する想いがありました。


共に近畿を勝ち抜こうと

お互いに成長できるように何度も対戦しました。


( 大会本部に掛け合ってくださった先生の中に

もちろん藤森の先生もおられました。)


OB戦には

目標を達成した世代も

出来なかった世代も関係なく

メンバーが集まりました。



一生付き合える繋がりに

勝敗は関係ありませんでした。



〝 笑顔も涙も君がたどり着いた最高のゴールだ 〟







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